

持続可能な品質とは。 文:needlework編集部
SDGsの前身は約20年前にはじまったMDGs。当然、その前からこれが検討されてきたわけですから、発端はさらに何年も遡ることになるでしょう。1962年には、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が発表されたことを考えれば、地球に対する人類の目が第二次世界大戦後、継続的に注がれてきました。しかし残念ながら、結局私たちは危機の只中に立たなければ、その危機を認識できないのかもしれません。
2022年末にベトナムのパートナー工場を来訪しました。ここで、電力の話になりました。再生可能エネルギーを用いた電力への切り替えを検討していたのです。理由は、大手の発注者たちの多くが、SDGs対応をしていない工場の監査を行なっており、対応しなければならなくなっているためです。こうした流れが強まったのはごく最近のこととはいえ、かねてより取り組みそのものはあり、工場によっては完璧に対応できるところもあります。
結局は哲学の問題ということになります。時代の流れで対応せざるを得なくなるまで待つところがほとんどですが、経営に対する哲学が深く濃くなればなるほど、自ずと地球に対する対応力を高めていこうという機運が高まり、誰に言われることもなく、むしろ時には”そんな部分に投資したって損するだけだ”と陰口を叩かれながらも、徹底していくタイプの経営者もたくさんいます。時代は下品で、そうした人たちを今になって先駆者のようにもてはやしたりもしますが、当の本人たちは意に介さないのでしょう。まだまだ地球のために経営ができることがありますし、やらねばならないと思っているのですから、前を向いて歩いています。
繊維は、イギリスの産業革命時から常にあらゆる産業の先駆的な位置付けにいます。先端、という意味もありますが、どちらかというと最初という言葉の方がフィットします。言い方を変えれば、原初的とも言えます。様々な国で最初に先端的に繊維が入ってきますが、他の産業がどんどん流入してくるころには、繊維産業の人件費が高騰しまた次の土地を目指さねばならなくなったりもします。しかし、これは現代の言うところの持続可能であると言えるのか。確かに、各土地に新しい産業のスタートを知らせる機能を有し、途上国などに新しい可能性を提示する一歩目のような役割もあります。一方で、安い方安い方へと流れていく傾向は全く変わりません。しかし、各土地で根差した繊維産業は、今より持続可能で、クリーンな存在へとどんどん生まれ変わっている。ようや、先端化しているわけです。私たちはどうあるべきなのか。生産者として、流通者として、消費者として、常に思考し、新たな価値を創造できるような企業でいつづけるために、努力を強化していかなければならないと感じています。
