

機械とニーズの価値 文:needlework編集部
私たちの創業の土地には、3階建て小さなビルが建っていて、創業者の自宅も併設されています。この3階は、実は工場になっています。といっても、とても小さなスペースに、骨董品のような機械が3台並んでいるだけです。しかし、実のところここはフル稼働です。かつて日本の繊維産業では当たり前のように使われ、山のように存在していた工業機械ですが、今はもう日本のどこ探してもほとんど存在しておらず、もう博物館にしかないような機械となってしまいました。
ここで作っているのは、ヨーロッパからの受注で作っている超防寒が可能なルームソックスです。それこそ、足を包み込む極厚セーターのような品物です。もちろん人が手編みすれば同様のものが作れますが、それだと数万円はしてしまうようなものになってしまいます。とはいえ、最新の機器だとそこまでの厚みのあるものを作るのが難しかったり、作れたとしても長いタイプが難しいなど制約も大きいのです。そこで、我々が保有している古い機械ですと、かえって扱いが難しいのですが、こうした特殊なニーズに応えることが可能になります。言ってみれば、器が大きいのです。
しかし課題もあります。故障したりしても、もう部品がないのです。そのため、たくさん受注を受けたとしても、機械が故障したらそこで受注を完遂することができなくなってしまう。責任が果たせないというのは、ヤマツネとしては絶対に避けたい。そこで、受注時に、突発的なリスクで生産が止まってしまう可能性がある、ということを前提条件で飲み込んでいただいたところにのみ、この機械でしか作れないものをお受けしているという経緯があるのです。
昔のものが貴重になり、それを使いものを作ることを良しと考える風潮もありますが、実際のクオリティで言えば断然新しい機器類のほうが優秀です。私たちは、古い機械も新しい機会も有しているからこそ、その意味を理解できるだけなのかもしれません。しかし、良し悪しとは、希少性だけで判断されるべきではなく、必要とする人たちにとっての機能性や存在価値で判断されるべきだと考えます。古いもので作ったものも、新しい技術のものも、ニーズがあれば等しく重要な商品であるのですから。